dream game tokyo yakult swallows
Thoughts

our dream is here 野村監督

2020年2月11日、野村克也監督が永眠された。

祝日だったので朝風呂に入った後、遅い朝食の準備を呑気にしてた私には一瞬そのニュースが全く信じられなかった。
本当に震えるほどショックだった。ここまでショックを受けてる自分にショックだと言えるほど。

84歳という年齢や、最近の車椅子のお姿を見ても、もしかしたらそんなに不思議なことでは無いのかもしれない。
けど、どこかで勝手に野村監督はずっと存在して、ずっとスワローズや野球界に「何をやってんだ!」とぼやいていてくれると信じて疑わなかった。

ノムさんは、正確に言うと元監督と言うべきなのかもしれないけど、私の中では永遠に「野村監督」。それは子どもだった私が物心ついて初めて認知した最初の監督だったから。

子供の頃の野球中継は、見たいTVが見れない鬱陶しいものでしかなかったし、もちろん、中継はいつも巨人戦がメイン。(私の巨人嫌いはこの記憶から植え付けられている!)それなのに、気がついたらあっという間に「野村監督」、「ID野球」、「ヤクルトスワローズ」は一気にメジャーなものに登り詰めて、田舎の子どもだった私の心まであっさり奪った。登校カバンにはヤクルトの缶バッチ、下敷きは池山さん。少年野球団に入りたいと親にお願いしてダメ出しされた(女が野球やるなんて田舎ではありえない、そんな時代)大人になった今なら、強くなって黄金時代を築いたから、ノムさんのメディアへの露出戦法が功を制していたからなど、色々理由もわかるけど、当時は本当に魔法にかかったようにあのピンストのユニフォームがカッコよく見えた。

野球の楽しさ、厳しさ、ドラマよりドラマチックな筋書きのない結末、その裏に隠された様々なストーリー、残酷に夢破れていく姿、震えるような感動を与えてくれる瞬間。

本当にいろんなものを魅せてくれた。



教え子に支えられる野村監督
2019年のドリームゲーム打席に入る野村監督

去年の夏のドリームゲーム本当に夢のような時間だった。
平日だったけど、納期すれすれな仕事があったけど、有給取って朝からグッズを買う列に並んだり、雨の中カッパを着てずっとニコニコして名選手たちの一興一同即を目に焼き付けていた。

結果、監督の最後の打席を見れた事、監督の生ぼやきを聞けた事、(野村監督のタオルを購入できた事も)、本当に心温まる良い思い出となって、私がいつか死ぬ時にも絶対思い出す事でしょう。

ここまで書いて、自分は本当何を書いてるのか、何を書きたいのか、もう、感情が溢れすぎてわからなくなってるけど、私が生きていく上で、勇気となる、明日の糧となる野球の楽しさを、ヤクルトスワローズと出会わせてくれてたのは、紛れもなく野村監督でした。ありがとう、って何万回書き連ねても全く足りない、感謝しか溢れてこない。
「ヤクルトスワローズには足を向けて寝れません」そう言ってたけど、それはこちらのセリフです。あなたには足を向けて寝れません。

本当に、夢をありがとうございました。天国でサッチーと一緒に今頃ぼやいている事でしょうけど、これからもヤクルトスワローズを見守っていてくださいね。伊藤忠ペアシートと言うものがありますので、一緒に観にいらしてくださいね。

監督、我らがスワローズ、優勝しますからね!

ちょっこす P.S.

「人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に」

これは私が一番好きな村上春樹さんの「ダンス・ダンス・ダンス」と言う小説の一節なのですが、いつも誰かが亡くなった時にふと思い出す。

誰かの死をもって自分の生を見つめ直すと言うのはなんだかおこがましいけど、野村監督が見せてくれたのは、野球道だけではなく、壮大な人生へ取り組み方でもあったから。私も、誰かが居なくなるようなことがあっても(逆に私が明日死んでも)後悔が生まれないように、これからもできる限り人に誠実に、自分に誠実に、そして自分の好きなことに全力で向かってい行けると良いな、と思います。




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