
つば九郎
2月19日
想像しうる中で、最も恐れていた事が起こってしまった。
長期休養を発表した時は、心臓がざわついたし、大丈夫なの?無理しすぎだよ、と心配はすごくしたけど、正直絶対復活することを疑っていなかったよ。
空港で倒れたなんて夢にも思わなかったよ。
不死鳥。
つば九郎なら絶対大丈夫。
復活して、“いやーあぶなかったー”なんて、これも笑い話にしちゃうんだろ?って。信じて疑わなかった。
もう大ベテランな年齢だから、ちょっとずつ業務量とか諸々調整していったり、嫌だけど、来たる引退を視野に入れた、代替わりなどのソフトランディングとか、そういうものを考える機会なんだろうな、、などと漠然と思っていた。
その最悪な日は水曜日で、昔から大好きな映画『BAGDAD CAFE』の4Kリマスター版を見るために、いそいそと夕方電車に乗り込んだ。
暇つぶしに電車内で何気に見たXに、不穏な書き込みや悲痛な叫びが溢れ始めていた。
すぐに何を指しているのか想像はできたが、理解はできなかった。
は?え?なに?どういうこと?え?
急いでその名前を検索し、程なく夕方のニュース番組の画面を撮った写真にたどり着く。一瞬にして血の気が引き、大袈裟ではなく身体が震えた。すぐに公式のホームページへ行き、球団ニュースを見るも、何も上がっていない。
嘘だ。
嘘に決まっている、ネタだよ、公式が何も言ってない。テロップだけじゃないか、どこか知らない地方のTV局がなんで急に出すんだよ、そんなわけがない。
誤報。
自分に言い聞かせるように。
誤報に違いない。
誤報であってくれ。
電車内で更なる情報を探そうと必死で検索するも、もうすでに「ご冥福をお祈りします」だの「とても残念です」だの、有名人の訃報に乗っかるようなどうでもいい投稿が目につきだす。
うるさい。
黙れ。
祈るんじゃねえよ。
まだ死んでない。
よく知りもしないやつに限って気楽に書き込みやがる。
ばーか。
心がザラザラし出して止まらない。
映画館の最寄り駅について、上映まで時間が結構あるが、何も新しい情報は出てこない。
頭が痛い。口の中も苦々しい。
最悪の事態を考えると本当にそれが起きる気がして怖い。その考えを必死で打ち消すのにも疲れてしまい、スマホを機内モードにし、映画館へ向かう。
映画は素晴らしかったが、心は全然落ち着いていなかった。
魂の叫びのような主題歌の「Calling you」が流れると涙がどんどん出てきてしまう。
つば九郎。
つば九郎。
どうか無事でいてくれ。何度も心の中で呼ぶ。
映画を見終わり外に出て、意を決して機内モードをはずし、Xを開く。
ほぼほぼスワローズ関連しかフォローしていない自分のアカウントでは、フィードを開けた瞬間、答え合わせができてしまった。
見たくないが、公式のページでも確認する。
ああ。
本当なのか。本当に最悪な事が起きてしまったんだ。
本当に。
帰宅途中の人が行き交う駅前で、抵抗することもなく、ただただボロボロと泣くしかなかった。
なんで?どうして?どうして?どうしよう。嫌だ、こんなことあっちゃいけない、いなくなっちゃいけない人なのに。
本当は倒れ込んで叫んで泣き崩れたいが、そんな気力すらも出なかった。
涙を拭うこともせず、マスクがどんどん水分を含んでいくのと、涙が流れていく感覚を他人事のように感じていた。
帰宅ラッシュを過ぎてガラガラの電車内でも、最寄り駅から家までの道でも思考停止で泣き続ける。
家についてからも、何をしたらいいのか何を考えていいかもわからない。
Xに溢れる彼へのコメントや写真、動画。見たいけど見たくない。
現実だと認識したくない。
気持ちが溢れて、自分も何か書こうとするも、文字よりも先に涙がただ溢れてしまう。
日付が変わりそうな頃になると色々な事実が各ニュースサイトに出始める。
2/4に沖縄から帰京する空港の搭乗口で倒れてしまったこと。
沖縄で入院していたこと。
一時は回復の兆しを見せたが、2/16に祈り届かず帰らぬ人になってしまったこと。
2/2に浦添でのイベントが公式に姿を見せた最後であったこと。
ショックすぎてどれも全てこの期に及んでも誤報であれとすら願ってしまう。
2025年の沖縄キャンプ
いつもならオープン戦の始まるキャンプ後半に行くのに、今年はなぜか前半に行こうと思った。別に虫の知らせとかそんな都合のいいことは言わない。ただただ偶然にも私はキャンプ前半に行って、偶然つば九郎は、2/2日曜に浦添でイベントを行うことになった。
朝が苦手な私は、開店2時間前とかに整理券を出す15名限定のつば九郎とタイマントークはハナから諦めていた。それでもグッズショップ開店前よりちょっとだけ早くついたことで、4つだけ残っていた「つば九郎と写真撮影券付きグッズ」の方を見事ゲットできたのだった。
どんなポーズで撮ろうか?浮かれながら指定された場所に向かう。
すると、グッズ売り場の壁の前に、教室にあるような机と椅子セットが置かれていた。
「???」なんだろうかと思ったら、つば九郎がやってきてそこに座った。
つば九郎とのツーショット撮影はありがたいことに過去に数回ある。青山のイベントや去年松山の秋キャンプなどでも、つば九郎はいつでも何十人という大人数の参加者たちをバッサバッサとテンポよく捌いていき、みんなのリクエストにもいつでもノリノリで答えてくれていた。
でも座っての撮影なんか記憶では一度もなかった。あれ??という違和感はあった。
つば九郎、疲れているのかな?
そんな違和感も、ワクワクで揉み消され、軽く受け取ってしまった。
今になって思えば、そりゃ疲れているよね?おそらく昨日東京からきて、朝グッズショップ入ったら、山のようにサイングッズが補充されていたし。きっと沖縄着いてすぐに大量にサインしてくれたんだよね?そしてこれから何十人と相手しないといけないんだもの。
一緒に写真が撮れることでウキウキして、呑気に前の人たちが撮っているのを見ていた。
順番が来て、座っているつば九郎の隣に向かい、高さを合わせるように私が少し屈んで両手でピースをする。神がかり的に視野が広いつば九郎はすかさず同じポーズをしてくれる。
そう、初めて一緒にパチリした時も、私はその時なぜかプロレスラーの棚橋くんの愛してま〜す的なポーズをしたのだが、何も言わずとも、つば九郎はすかさず同じポーズをしてくれたっけ。
どこまでもプロ。
人を喜ばすプロ。
スタッフさんが私のスマホを連写し、はい、O Kですーと終わりを促される。撮影会も残り数人いたので、私は急いで次の人に場所を譲ろうと、「ありがとうございました!!!」とつば九郎にお礼を告げて場所を退けようとすると、それを制するかのように、サっと大きな黒いモフモフの手羽を私の目の前に、行く手に差し出してくれた。
ああ、手羽タッチ!
ほぼほぼ毎回、撮影終つば九郎は撮影者達に「はい、おつかれ〜」といわんばかりにハイタッチならぬお手羽タッチをしてくれるのだった。
疲れていてもそれを忘れない。そのでっかくて暖かいモフモフの手羽の感覚は今でも忘れない。
(ありがとうね〜)
これまた勝手だけど、つば九郎の手羽がそう言ってくれている気がして、やたら嬉しかった。
「つば九郎、ありがとう!」再度告げて、モフモフに手を合わせて、浮かれながらその場を離れた。
つば九郎、まさかあれが最後の手羽タッチになるなんて。そんなの夢にも思わなかったよ。
あの時、座っているつば九郎に、疲れているつば九郎に、そしておそらく体調が思わしくなかったであろうつば九郎に、私は何かできなかったのだろうか?
もしあの時、「つば九郎、無理しないで、体調悪かったら全部予定もキャンセルして!病院行って!」って言えたなら?もしあの日大雨でイベントが中止になっていたなら?飛行機も天候不順で飛ばなかったら休めていた?
こんな考えはすごく傲慢だし、もちろん私が何かできたわけもない。何も分かってなかったくせに、思い上がるのも良い加減にしろと自分でも思う。過去は変えられないし、自分が無力とわかってもいる。
でも、こうなることを避けるために、少しでも何かできなかったのか?今更何を言っても考えても遅いし、実際私には何もできなかったけど、何かできたことはあったんじゃないか?この答えのない問いだけがぐるぐるしてしまう。
器用で、芸達者で、頭の回転が早くて、面白くて。
そして誰よりも優しい。
スワローズが、野球が、人が、楽しいことが大好きだったつば九郎。
その魅力に、どっぷりハマってしまい、いつしか依存して甘えまくっていたのではないか?
みんな、彼に無理をさせることをいつの間にデフォルトにしていたのではないかな?
なんでもできるからって、なんでもやらせて良いわけじゃない。
「つば九郎」をいつしか無敵のスーパーヒーローに仕立て上げてしまっていた。
球団も私たちファンも、彼の天性のキャラクターに、才能に、器用さにどっぷり甘えすぎていたんじゃないか?と、今更だけど思ってしまう。
この点は、本当に、ごめん、つば九郎!ごめんなさい、と何度も謝らずにはいられない。
ここで、「球団が仕事させすぎていた!」とか、つば九郎のスケジュール管理も体調管理も杜撰だったんじゃ?イベントもなんでもつば九郎頼りで、長年ずっとおんぶに抱っこすぎたんじゃないのか?なんて、責めようと思えばいくらだって責めることはできるかもしれない。
でも正直、それはもう後の祭りだし。それならつば九郎に超人的なものを常に期待し続けた私だって同罪だ。
そして勝手だけど、そんなこと言ったらつば九郎に怒られるような気すらする。上手くは言えないが、彼のプロフェッショナリズムを否定する気がするのだ。
つば九郎は、つば九郎をやらされていたわけじゃない。つば九郎は30年間かけてつば九郎自ら作り上げたものだったから。
ただ、これだけはどうしても、許せないことがある。
多くの人が、この最悪なニュースを知ってしまった最悪な方法。
地方の夕方のニュースで、ニュースヘッドラインの一部としてテロップで「つば九郎担当者死去」と出てしまったのが、あっという間にSNSで拡散された。その番組内ではこの件については触れられなかったために、誤報なのか?本当なのか?すぐに大騒ぎとなり、球団はしかたがなくあの日に追う形で公式に発表せざるを得なかったのではないだろうか。
つば九郎とディナーショーなどで親交のある村上和弘アナウンサーが、翌日のラジオで、この件について激怒していた。
ヤクルト球団側からも、村上アナにはお知らせするか迷ったが、球団内でもほんの一握りの人しかまだ知らされていなかった旨を後から球団から伝えられたとラジオ内で話されていた。
おそらく、「マスコット」という形態・形式がある以上、今後の「つば九郎」問題や、「つば九郎の魂である、つば九郎と一心同体の社員さん」のプライバシーなど、なかなかセンシティブな判断が難しい箇所があり、どういった発表が良いのか?遺族側と球団側でまだ協議をしている最中だったのではないだろうか?各社それを汲んで発表を待っていたのに、なぜかCBCは何も考えず、どこから得たのが知らないが、あのようなテロップで軽く報道してしまったのか?
これに関して、「CBCを一生許さない!」という村上アナの悲痛な怒りを聞いて、私は声をあげて泣いてしてしまった。
おそらく、「結構人気のあるマスコット」ぐらいの認知しかない人たちにとって、この私たちの怒りや、テロップで伝えていいことじゃねーんだわ、つば九郎“担当者”って軽々しく言うんじゃねーよ、っていうこのはらわた煮え繰り返る気持ちは、到底理解できないのだろう。
ただ、少しでも彼の「つば九郎」というプロフェッショナリズムに触れた者にとっては、本当に天変地異が起きたぐらいのショックで、村上アナが「両親には悪いが、両親が亡くなった時よりもショック」と仰っていたが、私も父親が亡くなった時以上にショックだ。正直まだまだ、どうにも立ち直れそうにもない。
このCBCの件に関しては、本当にリスペクトに欠けた行動で、怒りしかないのだが、ただ村上アナがまるで私の憤りを全て代弁してくれたようで、ほんの少しだけ報われたような気持ちになった。そして村上アナもつば九郎に魅せられた、TEAMつば九郎だったんだな、と改めて感じた。
これは、誰も何も予測できなかった、本当に青天の霹靂だった喪失。
本当に悲しい。きっとつば九郎自身もまさかこんなことになるなんて1mmも想像していなかったのではないかな?それとも健康に少し自信がなくなってきてたのに、無理して頑張っていたのかな?
いずれにせよ、まさかこんなお別れが来るなんて、つば九郎自身も本当に無念だったろうな。やりたいこといっぱいあったよね?悔しいし悲しいよ。
空港で具合が悪くなったなんて、辛くなかったかな?その時、せめて誰かそばにいてくれたのかな?一人じゃなかったかな?考えてもしかたがないことをずっとグルグル考え続けては涙が止まらない。
つば九郎とは、「マスコット」というだけでは形容できない、唯一無二の存在だった。
その大きな存在の不在にたった数日で慣れることなんかできない。今はただただ寂しくて、辛いし、悲しいよ。
つば九郎の大好きだったヤクルトスワローズを、これからも私はずっと応援していくし、テットが言ったように、これからもつば九郎はチームの一員だし、共に闘っていく。
そのことには変わらない。ただ形態がちょっと違くなっただけで。今は神宮の風とか目立たない形態になっているのかな?ずっとみんなと一緒にいてくれると思っているけど、もうちょっとそのシン・つば九郎の「特別仕様」に慣れるには時間がかかるよ。
今後、もしかしたら、つば九郎2代目などを作って襲名性にしていくのか?それはまだ考えるのが難しいし、まだ球団だって正解は見つかっていないだろうけど、でも、今後どのようになろうとも、30年かけてつば九郎が作り上げてくれた「つば九郎」はずっとみんなと共にいることだけは、どんなに悲しみに打ちのめされている今でも忘れないよ、そして感謝もめちゃくちゃしてるんだよ。
長々と気持ちを整理するために書き連ねたけど、それでも全然心が落ち着かない。
毎年2月は球春到来の月で、ウキウキしてキャンプを見に沖縄に行くことが楽しみだった。この大好きな2月が、大好きな沖縄が、私の心に悲しみと痛みを伴うものになるなんて。
2月16日は本当に悲しい日になってしまった。
でも、今までつば九郎に貰ってきた感動や笑いや喜びは、この喪失感にだって絶対負けるもんかと、いつか必ず勝つと思ってるよ。
まだまだ時間はかかりそうだけど。
私の中で、一つ決めた事がある。
毎年2月16日は、必ず沖縄に行く。そこでビールを飲んで、今までの楽しかったつば九郎の名場面や感動した名言を思い出すことにするよ。
欲を言えば、浦添の運動公園のどこかに、つば九郎の記念碑や記念樹なんかが建つといいな。浦添の松本市長にお願いしようかな。
またね、とか、ありがとうとか、でもどうしようもなく寂しいよ、とか色々あるけど。まだつば九郎がみんなにいつも言ってた「えみふる」には到底なれないけど、それはもうちょっとだけ時間をください。もうちょっとしたら必ず思い出していっぱい笑うから。
ただ、とにかく、「ずっと大好きです」